低い軒の並んだ街並み
※袖壁も目立ちます。
本町~鍛冶屋町辺り
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見上げたら天守閣
下柳町辺り
※この街のランドマーク
天守に見守られて~
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白雪看板と千本格子・袖壁の
感じ良い商家
この街のスタンダード…
※郡上踊り(大手町)
毎年7月中旬から9月上旬まで延べ32夜開催される。
8月13~16日は、午後8時から明方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会(徹夜踊り)」。
寺社の境内・道路・駐車場・公園・広場など、開催日毎に会場を移す。
各開催日は基本的に町内各所での縁日や記念日に由来している。
優秀な踊り手には免許状が発行される。開催日毎に審査対象の1曲を明示し、郡上おどり保存会が選抜する。
4日間の徹夜踊りに来訪する踊り客はおよそ25万人に達する。
毎年年末には翌年の日程が発表される。
(Wikipediaより)
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ドウダンツツジの紅葉が目に付きますが
母屋の石造り洋館が良いなぁ~
※軒の木鼻が綺麗
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綺麗でしょう~
※どちらもね!
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吊るし柿も御家の飾りの様に~
※安穏寺さん
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大手門跡
明治維新まで黒塗りの大手門が有ったとか~
残念!
※新築も街並み保存~
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見性院(けんしょういん、1557年(弘治3年)- 1617年12月31日(元和3年12月4日))は、
戦国時代から江戸時代にかけての女性で、土佐国土佐藩初代藩主、山内一豊の正室である。
本名は「千代」とも「まつ」ともいわれるが、定かではない出自は諸説ある、
岐阜県郡上市の慈恩寺が所蔵する美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図に、
東常縁の子孫である遠藤盛数の娘が山内一豊室であるとの記載があったことなどから、
遠藤盛数の子説が有力。
(Wikipediaより抜粋)
※中柳町から上柳町方面を望む
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もう一度
安穏寺さん
※下柳町辺りは秋色
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見ざる言わざる聞かざる
※綺麗に祀られています。
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童地蔵尊
水野隆さんの詩が書かれていました。
童ひとり微笑みて
石の頬持て立ちにけり
昔の人の何念じ
何を祈りて彫られしか
城山のもと道細く
わらんべひそと祀られぬ
四季の陽ざしの触れすぐる
時の流れの寂けさに
※日常家屋
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柳町用水
小さいながら清流が耐えずに~
※路地の奥にも~
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下柳辺り~
※安穏寺さん本堂
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粉引小屋
※清流との関わり
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統一感のある街並み
綺麗です。
※残されてるエエ感じ~
頭が下がります。
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郡上八幡博覧館
小さ目ですが歌舞練場と
同じような造りですね。
※日常の為の改造も見られますが~
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弁柄格子も~
※関の街並みは、
もう少し背が高かったなぁ~
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路地奥には城山が~
昔は火薬庫が有ったんですと。。
水清く 心も和む用水路
守って残そう子や孫に
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空き地にも
こんな長屋が在ったのでしょうね。
※この坂は?
あの橋は?
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長屋の切れ目に~
※惣門坂と惣門橋ですと…
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下から~
真ん中のレールは自転車用ですかね。。
※惣門坂~
此処から北へ街道は伸びます。
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惣門橋上から~
※普段の河川には
水制が作られています。
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小駄良才兵衛が城下の酒屋をひょうきんな性格で飲み歩き子供たちとも戯れた。
在る月夜に、酒樽を抱えて千鳥足で通りかかった才兵衛は、
翌朝に橋の下で倒れ伏しているのが発見された。
『心中したげな、惣門橋で小駄羅良才兵衛と酒樽と』
(郡上踊り歌詞)
※藩政時代には非番の代官達が住んでいたとか~
(代官町)
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My橋が~
※城山へ向かいます。
見返って~惣門橋
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My橋沢山~!
※雪も考慮されて~
階段坂
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木製My橋
奥に路地も~
※上流方向に~
左は石切山
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雪除け用でしょうか?
フォークリフトにショベルが~
※手摺りの付いた青い橋
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水との関わり
※四季咲桜
紅葉の時期です~ナウ!
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見返って~
※上流方向~
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野石・乱石 乱積!
玉石往復積
(たまいしいってこいづみ)
※前にも~
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