其の一阡九拾壱
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2011年04月30日 土曜日 アップ日 2015年05月12日 火曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた。 生サバを塩でしめて京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。 夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる。 しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。 運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。 鯖街道によって、サバだけでなく多くの種類の海産物なども運ばれた。 平城宮の跡や、奈良県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、 若狭からタイの寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推定され、 鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられている。 また、現在の橿原市にある藤原宮跡から出土した木簡には塩の荷札が多数見つかり、 鯖街道を利用して塩も多く運ばれたとみられている。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして 資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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