古/いにしえの面影       其の一阡八拾参

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年09日03日 月曜日
アップ日  2014年08月11日 月曜日
神奈川県相模原市緑区(相模湖)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

戦後にできたダム湖としては日本初(相模ダム完成は1947年)で、
人造湖に○○湖と命名した最初の例である。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

平日ですが、釣り客が多かったです。

※遊覧船・レンタルモーターボート・レンタルボート・釣り船・カヌー教室等が整備され、
都民並びに県民の憩いの場所となっている。 勝瀬観光株式会社は、
相模湖誕生と共に水没した旧日連村勝瀬の出身者有志が協同設立した会社である。
同社の所有する遊覧船スワン丸は日本初の白鳥型遊覧船であり、特に子供達や女性に人気が高い。
(Wikipediaより)


ダムサイト
流れ込みのゴミと
アオコが目に付きます。

※全体的には綺麗な風景。
「桂川」「嵐山」「与瀬」「小原」「吉野」「奈良本」「高尾」といった京都に由来する地名が点在している。
弘法大師がこの地を行脚した折、京都の地形や山容に
非常に似通った所があるとして命名されたとの伝説が残っている。
(Wikipediaより)


当初からの
橋の親柱



水面利用、潅漑と治水との名目だったそうですが、
発電して都電の電力ですと~
今では、神奈川の水瓶とか。

※山梨・神奈川・東京の
県境付近

何かの縁で訪れる場所にも埋もれた歴史が…
ここの場所は、本日村の慰霊祭~
湖の悲しい歴史を教えて頂きました。

※相模湖誕生と共に水没した旧日連村勝瀬地区
村の墓標ですね。

春日山
鳳勝寺跡
海老名市に移築されたとか。

※萩の花が満開

勝頼
ふる里の碑

※萩の花も物悲しく

中央自動車道
JR中央本線越に小仏峠も~
静かな湖面

※相模湖IC方面

イノシシ除けか?猿除けの
鹿威しのようなポンと言う音が
響きます。

※543.0mの孫山

禁止事項

周辺地域では生活排水が長年に渡り流入して湖水が富栄養化、
夏場には大量の藻(アオコ)が発生して、水質が悪化している。
そこで現在ではエアレーション(間欠式空気揚水筒)式の水質浄化装置8基が設置されている。
(Wikipediaより)

ポンプ小屋

※オハグロトンボが~

浮き桟橋が移動設置され~
ニュースワン丸が横付けされました。



戦時下の物資不足で
トラック用ガソリンは片道分
若者は徴兵のために
残された年寄り婦女子による移転作業は
難渋したとか。


終戦間際には、相模湾辺りに上陸して来た米軍を
ダムを爆発して洗い流すなんて物騒な計画も
実際に有ったと伺いました。

沈下前には、広い田があり裕福な地区だったそうです。

※僅かな立ち退き金貰って街に出た者は、空襲でやられるか
生き残っも、戦後の強烈な毎日のインフレで大変だったとか…

地元の新聞社からの取材も…

※天気の良い
暑い日でした。。

ハイポーズ!

※あそこに谷があり
道がこう走って…
私の家はアソコ!なんて~

慰霊祭の終わりに、臨時の浮き桟橋からニュースワン丸に乗られる
元地元の方々と其のご子孫~加齢でこの階段が辛いから来年以降は、
バスにしようと~最後の船渡御だったんでしょうかね。
今年は、どうされたのでしょうか?



悲しいなぁ~



浮き桟橋も
移動されていきました。



要塞のような
被覆が積み木のように…

※移転先銘板

いつもの湖面に戻りました。



ヤママユの名残

※私の目には、
白い萩が悲しく映りました。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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