宇流冨志袮神社さん
二の鳥居
※沢山の奉納石燈籠が有る参道
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地蔵様が合祀されてました。
※川面からは少し高い場所にあります。
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三の鳥居
この辺りでは
大きな境内
※本日、左義長神事が有ったんですね。
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二連の石燈籠
此処も灯台の役目も?
※灯油の世話用石階段も~
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市指定文化財
石鳥居
台石が無く直接埋められているとか。
天和3年銘(1683年)
※石造手水鉢
天和2年銘で市内では一番古いとか~
能狂言面も~
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忠魂碑
※どんど焼きは終りましたと~
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陸軍大将
鈴木孝雄書
(満州事変・昭和の乃木さんとも~)
※拝殿正面に
下乗碑
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手水鉢
※扁額
源 通人侯爵
源 通人=久我 通久(こが みちつね、天保12年11月28日(1842年1月9日)
- 大正14年(1925年)1月10日)は幕末の公卿、
明治・大正時代の華族、政治家。侯爵。貴族院議員。
元老院議官、宮中顧問官、宗秩寮総裁、東京府知事などを歴任。
和歌や書道、謡曲、歌詞などに堪能な趣味人としても知られた。
久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - )とも縁が~
1950年の映画『また逢う日まで』での岡田英次との窓硝子ごしの接吻を演じた
(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。
(Wikipediaより)
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一所願成就
お百度石
「三代実録」によれば、清和天皇、貞観15年(873年)9月27日に宇奈根神、従五位上とあり、
その後徐々に位を上げ、円融天皇、永徳元年辛酉2月24日(1387年)従一位を授かる。
※天武天皇のとき、圭田42束、四箇所の神田をもって祭祀し放正会を行われ、
官幣の奉幣を受けること11回に及ぶ。
また後に、伊賀の領主である筒井定次の重臣の松倉豊後守勝重が名張に着任し、
新領を寄進され、また寛永13年に藤堂宮内少輔高吉により更に神領を寄進された。
その後、祭祀には乗馬が出され、累代尊崇の社のして以来、名張の氏神として崇拝され現在に至っている。
当神社は延喜式内で、伊賀二十五社の内の一社であり、明治14年11月に県社に認定される。
(Wikipediaより)
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東京からも玉垣奉納も~
※主祭神は宇奈根命(うなねのみこと)
は水、穀物の神であり、
名の由来は元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあることから、
うねる→うなね(宇奈根)となったと言われている。
また、このことから宇流冨志禰神社という名も"潤うふし水"という語源を元にできたと伝えられている。
その他には、武甕槌命(たけみかつちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)、
大物主命(おおものぬしのみこと)、火之迦具士命(ほのかぐつちのみこと)、宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)、
建速須佐之男命(けんはやすさのおのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、
応仁天皇(おうじんてんのう)、仁徳天皇(じんとくてんのう)が祭られている。
(神社HPより)
春日神社と同じ祭神も
お遣わしの鹿も~
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力感溢れる狛犬
脚に呪い付
阿
※吽
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大阪市の大勢名記
※石燈籠百十本奉納
参道のですかね?
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松尾社
※左義長跡
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渡り廊下も~
※戦利兵器奉納
大戦時に供出したんでしょうか?
見当たりません。
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何か力石に見えませんかね?
思い過ぎ??
※大阪市北区堂島にて工具・建築金物・家庭 用金物を商う老舗として広く知られた。
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裏参道~
※
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明治天皇遙拝所
宮城遥拝所
東向いて…方向からしたら~
今の皇居(江戸城)でしょうか?
※境内
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下り藤
社紋
※
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国旗掲揚台
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御神木
※正面から~
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