其の一阡四拾五
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2011年07月30日 土曜日 アップ日 2014年05月13日 火曜日 |
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能郷白山に続いて、今度こそ
冠山(1256m)再度行かへん? と、いつものイソベさんの一言で~目指せ冠山!! 行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部) 今庄宿は、古くから幾重にも重なる南条山地は北国街道・北陸道の難所であり、 山中峠、木の芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠のいずれかの山越えの道を選んで今庄に至り、 京または江戸へ行き来する人々が宿泊した宿場町です。 今庄は、江戸時代を通じ宿場として越前でもっとも繁栄しました。 初代福井藩主 結城秀康は、北陸道を整備するに当たり 今庄については重要な宿駅として計画的な町並みを造らせました。 文化年間(1804年~1818年)には、 街道に沿って北から上町、観音町、中町、古町、新町の5町あり、 その町並みは約1キロメートルに及び、家屋が櫛の歯のようにぎっしりと立て込んでいました。 特に中町には、福井藩、加賀藩の本陣や脇本陣、問屋、 そして多くの造り酒屋、旅籠が集まり、高札場もありました。 北国街道は、江戸参勤には最短路であり、越前各藩は必ずと言っていよいほど、 今庄宿を利用しました。江戸時代中期以降は、商用や京への寺参り、 伊勢参りなどの旅人の宿泊が急増し今庄宿は繁忙を極めたのです。 (南越前町今庄観光協会HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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