其の一阡壱拾一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
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撮影日 2011年04月09日 土曜日 アップ日 2013年11月08日 木曜日 |
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約2000年前、神武天皇の東征先導役が室津に港を建設したといわれる。
藻振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、 更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで 「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられる。 『播磨国風土記』に、「コノ泊、風ヲ防グコト室ノゴトシ 故ニ因リテ名ヲナス」と紹介されている。 奈良時代には行基によって「摂播五泊」の一つとされ、 海上と陸上交通の要衝として「室津千軒」と呼ばれるほど栄えた。 摂播五泊(せっぱんごはく)は、奈良時代の 僧侶、行基が開いたとされる播磨・摂津の合わせて5箇所の港。 いずれも現在の兵庫県内。 室生泊 - たつの市御津町 韓泊(福泊)- 姫路市的形町 魚住泊 - 明石市魚住町 大輪田泊 - 神戸市兵庫区 河尻泊 - 尼崎市神崎町 江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、 港の周辺は日本最大級の宿場となった。 通常、宿場におかれる本陣は、1軒、多くとも2軒であるが、 室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。 しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、 鉄道・道路が内陸部に敷かれたため急速に衰退した。 (Wikipediaより) 行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
2011年9月6日の台風12号/
2013年9月16日の台風18号の 被害の方には、 お見舞い申し上げます。 やはり、持ってるものはUPして 資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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