古/いにしえの面影       其の一阡壱拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2011年04月09日 土曜日
アップ日  2013年09月30日 月曜日
兵庫県姫路市本町姫路城Ⅵ(西の丸)
傷みや汚れの激しくなった漆喰壁(しっくいかべ)の塗り直しや、
屋根瓦の葺き直し(ふきなおし)を中心に、5年をかけて行う大規模な工事です。
現在は天空の白鷺の見学窓から、完成が近づいた姫路城大天守の外観を間近でご覧いただくことができます。

姫路城大天守45年ぶりの本格修理姫路市では、2009年(平成21年)から姫路城大天守の保存修理工事を開始しました。
これは、1964年(昭和39年)に完了した解体復元工事から45年が過ぎ、漆喰壁(しっくいかべ)をはじめ上層部の軒(のき)や
ひさしに傷みや汚れが激しくなってきたため、本格的な修理を行うものです。
国宝であり世界文化遺産である大天守の保存修理工事は、長期にわたる大規模なものになります。
そこで、学識経験者などを中心とする姫路城大天守保存修理検討会(会長・多淵敏樹神戸大学名誉教授)で
工事の方針や工事期間中の見学者への対応などについて検討してきました。
工事は壁の修復が中心検討会で策定された基本方針では、工事は壁面の修復が中心となります。
大天守の1〜3層は表面の漆喰壁を塗り直し、4・5層は下地から修理します。
屋根瓦はできるだけ再利用しながら全面を葺き直し(ふきなおし)、くぎや銅線による補強を行うほか、破損した軒先などを修復。
また、耐震性能の評価結果に基づき、床組みの構造補強などの耐震工事を行う予定です。
修理期間中は大天守内部の登閣はできません。修理期間中は、大天守内部の見学は休止します。
大天守を覆う素屋根の内部に見学者用のスペースとエレベーターを設置し修理現場を公開しており、
現在は修理工事の完成が近づいた姫路城大天守の外観を間近でご覧いただくことができます。
(天空の白鷺HPより)


行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

桜満開!



立札のリニューアルも宜しく!

※西の丸庭園からの天守閣

紀元二六〇〇年記念樹碑

※アヒル~
すっぽん??


※回廊~

艶かしい~

※春爛漫!




剣片喰紋



千姫縁之地なんですね。



満開~目の正月!




※絹音もサラサラと~

羽子板

※化粧櫓

何処からも天守が拝めるんですね~





※釘隠し

化粧櫓



千姫や、春や昔の夢のあと
(中央から、右、左の順で読むそうです)

※水辺の景色

姫路城と中村大佐

江戸幕府が倒れ新政府が発足すると、それまでとは異なり城は無用の長物になっていきました。
明治7年陸軍歩兵十連帯の設置に伴い、姫路城の櫓や門などが取り壊され、天守も取り壊されかけました。
しかし、解体のための費用も莫大にかかることから、姫路城は競売にかけられることになります。
落札者は姫路市米田町の神戸清一郎氏で落札価格は23円50銭でした。
神戸氏は城の瓦や釘を再使用するつもりでしたが、やがてうまく使えないことがわかり、
結局その権利を放棄してしまうことになります。
そんなころ姫路城のすばらしさを後生に残すべきだと立ち上がったのが、
当時陸軍省第四局長代理だった中村重遠大佐(なかむらしげとうたいさ)でした。
中村大佐は、陸軍卿(りくぐんきょう)(陸軍大臣)の山県有朋(やまがたありとも)に陸軍省の費用で
姫路城を永久保存するための修理をすべきだと意見書を出しました。
この意見書のおかげで1879年(明治12)に姫路城の保存が決定しました。




残して頂き感謝です!


2011年9月6日の台風12号/
2013年9月16日の台風18号の
被害の方には、
お見舞い申し上げます。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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