古/いにしえの面影       其の一阡四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2010年12月18日 土曜日
アップ日  2013年09月19日 木曜日
和歌山県新宮市阿須賀(阿須賀神社)
阿須賀神社(あすかじんじゃ)は和歌山県新宮市にある神社。熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場 第23番。
祭神:事解男命、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神
熊野川河口近くにある蓬莱山と呼ばれる小丘陵の南麓に鎮座する。
古くは飛鳥社とも称された。
蓬莱山は南北100メートル、東西50メートル、標高48メートルの椀を伏せたような山容で、
神奈備の典型とも言うべき姿をしている。
熊野速玉大社伝の「新宮本社末社総目録」に上御備・下御備の祭祀遺跡が描かれているように、
古くから信仰の対象となっていたと見られる。
また、もともとは陸から離れた島であったともされる。

熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、
それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷に勧請されて、
その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられており、
熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたことが分かる(「熊野権現垂迹縁起」)。
その他、境内からは弥生時代の遺跡が発掘されており、熊野における歴史と信仰の最も古い層に関わる地として重要である。

社伝によれば孝昭天皇の代の創建と伝えられる。
平安時代に熊野権現の本地が確立してからは、大威徳明王を本地仏として祀った。
平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、阿須賀神社に参詣することが常であったと見られ、
『中右記』の天仁2年(1109年)10月27日条に「参阿須賀王子奉幣」と記され、
熊野九十九王子の王子社としての扱いを受けていたことが分かる。
また、『平家物語』巻十には平維盛が新宮で「明日社ふし拝み」と記され、
阿須賀神社への参拝が一般的なことがらであったことが認められる。
『紀伊続風土記』によれば、近世の阿須賀神社には、並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・鳥居・社僧行所などがあったという。
1907年(明治40年)、熊野速玉大社の末社であった八咫烏社(建角美命)・宮戸社(黄泉津道守命)などを合祀した。
(Wikipediaより)


行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部)

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前回の神倉神社の時に
社森は見えてました。

※徐福上陸の地
徐福の墓は~

阿須賀神社サンです。

※なにわ型狛犬尻尾

 阿

※吽

飛鳥神社銘燈籠

※常夜灯

燈籠の頭は木製だったんでしょうね。



神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑

※紀元二千六百年奉祝会

社殿の後ろは蓬莱山(神南備山)
元熊野なんですね。

※昭和27年御造営記念碑

手水舎

新宮城第2代城主の水野重良により寛永8年(1631年)に寄進されたもので、
黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げられたものである。
同様に神倉神社にも手水鉢が寄進されている。
新宮市指定文化財(有形民俗文化財)として1989年(平成元年)3月25日に指定された。
(Wikipediaより)


拝殿社正面



徐福の宮
案外小さいです。

※不老不死を求めて
蓬莱山を目指して来たんですね。

熊野稲荷社

※手水鉢

阿須賀神社
本殿舎

※熊野最古の原始信仰形態とか。




ん?茅葺屋根と思えば~
竪穴式住居の復元物ですって。

※弥生時代から
古墳時代の住居跡が重なっています。
余程、住みやすかったんでしょうね。

 
※内部

境内

※徐福が求めた
テンダイウヤク
3mのものは珍しいとか。

境内にある
歴史民俗資料館脇の石灯籠群

※唐臼も~

阿須賀神社社務所

※玉垣?防塁ですかね?

紀功碑

※上中熊野区民建立碑

町並み


2011年9月6日の台風12号/
2013年9月16日の台風18号の
被害の方には、
お見舞い申し上げます。

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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