古/いにしえの面影       其の一阡四拾弐

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2011年07月30日 土曜日
アップ日  2014年03月17日 月曜日
福井県越前市大滝町(岡太神社・大瀧神社)
能郷白山に続いて、今度こそ
冠山(1256m)再度行かへん?
と、いつものイソベさんの一言で~目指せ冠山!!
行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部)

古代アジア大陸との玄関口として栄え、多くの渡来人とともに大陸の最先端の技術・文化が海を渡り、
一大産業都市「越(こし)の都」が築かれる。
「越(こし)の国」に生を受けた継体(けいたい)大王。58歳まで越の国で過ごした後に都で天皇に即位。
数々の伝説をこの地に残し、それに基づく伝統芸能や行事が今も越前市に受け継がれている。
日本で唯一の紙の神様、川上御前が紙漉きの技術を村人に伝えたという伝説が残っている。
(越前市観光協会HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

岡太川

※三面張り河川

侍従御差遣秩父宮殿下御成記念碑
内閣総理大臣 岡田啓介
1868年、福井藩士・岡田喜藤太と妻はるの長男として生まれる。
1884年9月、旧制福井中学(のち藤島高校)を卒業。
海軍に入隊後、日清・日露戦争を歴戦。
後に、連合艦隊司令長官、2度の海軍大臣を歴任し総理大臣と成った。
軍事参議官としてロンドン海軍軍縮会議を迎え、
「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし」という信念に基づき
海軍部内の取りまとめに奔走、条約締結を実現した。
その後、二・二六事件で襲撃を受ける。
岡田は、おとぼけが得意だった。
天皇機関説を問題視した右派は、議会で岡田を攻撃した。
「日本の国体をどう考えるか」と聞かれると、「憲法第1条に明らかであります」と繰り返した。
「憲法第1条には何と書いてあるか」と聞かれると
「それは第1条に書いてある通りであります」と、人を食った答弁で切り抜けた。
岡田は、そのしたたかさから「狸」とあだ名された。
吉田茂は岡田を「国を想う大狸」と評している
(Wikipediaより)

※桜の季節に
又、訪れたいものですね。


大徳山が呼んでますが…

※此処にも卯建が~

お峰(大徳山)登山道

※荷馬車?車輪
ゴム製のタイヤがついてますね?
自動車用でしょうか?

突き当りは
岡太神社・大瀧神社の杜

岡太神社・大瀧神社扁額

※日本で唯一の紙の神様、川上御前が
紙漉きの技術を村人に伝えたという伝説が残っている。
(越前市観光協会HPより)


大きな手水鉢

※石燈籠も多く寄進され~

青銅製の狛犬

※立派な彫刻の本殿

寄進 横濱連中

※里宮は、江戸時代後期の社殿建築の粋を集めて再建されたもので、
昭和59年国の重要文化財に指定されました。
(越前和紙の里HPより)



大瀧の竜吐水

※粟田郡
宇野喜内作

立派ですね!

※奥に神輿蔵

立派な彫刻




立派な神輿蔵

※川上の
御前が諭す紙の元
五箇は栄える
紙は神なり。

永代常夜灯

※奥の院

川上御前の由来
地場産業発祥伝説!



檜皮の森
自前の森で葺替が出来るんですね。



裏門から~

※奥の院に続くのですかね。




ヘソモリ
ロケ地ガイド

※参道も~

横山大観筆の
自然石社標

※巨匠も良い和紙を
探したんでしょうね。

町並みに大きな白壁土蔵も~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.