古/いにしえの面影       其の一阡壱拾四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2011年04月09日 土曜日
アップ日  2013年11月13日 水曜日
兵庫県赤穂市室津Ⅳ(貝堀の井戸)
浄土宗の開祖法然上人は、室津へ2度寄港されています。
最初は、建永2年(1207)旧仏教徒のねたみを受けて罪におとしいれられ、讃岐の国に流される時。
2度目は、建暦元年(西暦1211)許されて都へ帰る時です。
最初の寄港の際、遊女友君が上人の説法により得度し、念仏往生を遂げたと伝えられています。
また、法然上人二十五霊場の第三番札所である浄運寺には、
宝物として法然上人像、友君像、友君が上人から頂いたと言われる品々があります。
浄運寺から海側へ降りた所にある貝堀の井戸は、
室津に滞在中の法然上人が飲み水で困っている室津の人々のために、
海辺の貝で掘ったという言い伝えが今でも残っている淡水の井戸です。
(看板より)


行け行け!CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

路地風景がアチコチに~

※木蓮の季節

たつの市立室津小学校

※海岸の風景~なんですがね。

室津幼稚園
平地は少ないですから
埋め立てたんですね。

※構造物?

法然上人貝堀の井戸

※法然上人
前にも
港(泊)には遊女は多かったのですね。

海岸端の井戸だったのですね~
昭和期には小学校も幼稚園も海の中ですね。

※井戸口

脇の細道上れば~浄運寺さん


※赤穂の岬が~
運動場は海だった・・・

清涼山 浄運寺さん
多くの寺宝~
法然上人75歳の御真影
遊女友君の坐像
かり染の色紙(法然上人御真筆)
紺紙金泥の六字の名号(法然上人御真筆)
法然上人着用せし御袈裟
お夏形見の木像
観経曼荼羅一幅


※遊女 友君の墓
室津は遊女発祥の地ともいはれ、古代から江戸時代までにわたって繁栄を極めた。
平安末期のころ、花漆といふ名の遊女は、唐人からもらった財宝を天皇に献上したところ、
数々の宝を賜り、それをもとに室津に五つの寺を建てたといふ。

○花漆ぬる人もなき今宵かな。室ありとても頼まれもせず      花漆

建永二年(1207)、法然上人が、七十四歳で讃岐へ流されるとき、室津の港で一人の遊女に出会った。
遊女は、友君といひ、かつては山吹の名で木曽義仲の寵愛をうけ、流浪の果てに、
その罪深き身を嘆いて救ひを求めてきたのである。法然は女を哀れんで念仏の功徳を説き、歌を書いて与へた。

○仮そめの色のゆかりの恋にだに、あふには身をも惜しみやはする  法然

感激する友君の求めに応じて、自身で刻んだ頭像をも与へ、法然は港を出ていった。
友君はこの頭像に胴体をつけようと、粘土をこね、月日をかけて何度もつくり直して法然上人の像を完成させた。
この像は今も室津の浄運寺に残ってゐる。
(歌語り風土記 HPより)

遊女 友君の墓は
昔は、海端だったんでしょうね。

※本瓦も誇らしげな本堂~

向こうの森は賀茂神社さん
左の小学校は海だったなんて~
想像したら~街の雰囲気が変わりますね。

※法然大師縁の碑

竹の下は井戸です。

※防火水槽見っけ!
雨垂れ受けですね~

火灯窓・花頭窓(かとうまど)

※鯉幟には少し早い時期~
境内です。

法然上人御霊場
第三番
鐘楼付山門



物干しも絵になって~

※海岸端への路地~

好きですわ~!

※山肌に、
しがみつくような路地

背伸びしたような路地~



エエナァ~

※傾斜は階段で…
前にも

海岸沿いの石畳路地には井戸が似合う~
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※千本格子も~

前に見た風景



飾られてます~
前にも

※路地裏アート
仲良くね!
左の分銅(錘)は~

石畳が好きですねん。



徳乗寺さん



除虫菊?

※手水でしょうか?
石臼??

徳乗寺さんの山門

※おばぁちゃんの押す
乳母車が~
漁港の運搬用。。
2011年9月6日の台風12号/
2013年9月16日の台風18号の
被害の方には、
お見舞い申し上げます。

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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