自転車では右から大汗かいて
登ってきました。
大部方面
※銚子渓方面に~
昔、教習所で絵を見た
ブレーキ緩衝部分
フェードしたら飛び込めと…
怖いなぁ~~
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三角点644.3mのピーク
岩山なんですね。
※銚子渓動物園お猿の国
近く~
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ん?
自転車でも出会いましたが~
此処でも。。
※大阪で言うと
一昔前の箕面状態!
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見返れば~
※向こうに四国も~
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低い軒
綺麗な本瓦が~
自転車でも同じアングルで~
性ですね…
※寒霞渓は
あの峰の向こう~
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小さな漁港が~
※戦役記念碑
日露戦争ですね。
此処も自転車で撮ってる…
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大坂城残石記念公園
道の駅でも有ります。
細川護煕筆
※約40個ほどの残念石
ノミの跡も
鮮やかに残っています。
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小海の集落のバックに広がる
採石所跡
とび越丁場跡
※大坂城石垣石切
とび越丁場跡
及び小海残石群
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友好の碑
青森県 野辺地町
香川県 土庄町
ググッたら~
青森県上北郡野辺地町の愛宕公園にこのほど、同町と香川県小豆郡土庄町との友好の証となる記念碑が設置された。
野辺地町は明治時代、北前船の帰り船に重しとして香川県・土庄町産の小戸島石を載せて帰港。
この石をきっかけに両町の友好関係が築かれている。
(石材新聞ニュース2011.09.15号)
片割れですね。。
※修羅とロクロ
修羅:大石を運搬する際に乗せる木枠。
ロクロ:木製のウインチ
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此の形で海上を
運んだんですね。
※江戸時代の技術ですね。
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此処から搬出したんでしょうね。
ズラリと並んで~
※ロクロ
回すのは
弟子奉公中の
若い職人の仕事だったとか。
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小海地区の採石の歴史は、元和6年(1602年)
徳川幕府の大坂城拡張・修築工事の際、
豊前小倉藩細川越中守忠興・忠利父子の受け持ち丁場だったとか。
それで細川護煕元総理筆~
※島全体に石切り場が~
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海岸整備される前の写真
石は動かないとして
海面の位置が~
※北前船も写る
小豆島北浦絵葉書
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遠く山口県から~
鷲羽山や四国からも大阪城へ~
※石の切り出し場所選定は
適当な高さの山に玉石の散布地を選び、
草木を伐採し矢穴を明け切り出す~
後には切り出しの際には
火薬で爆破して採ったとか…
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矢穴
※火薬を使っての
煙硝ノミ
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大正時代の石切風景
※対象から昭和初期にかけての
帆船による積出風景
オール木造船ですね。
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三つ揃いのスーツ着て
山高帽被っているのが荷主?
※大きめの石は
2つの船で~
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北前船(どんぐり船)での積出図
※オオデコ
樫の木を削って
石の下に差し込み易いようにしたとか。
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すり鉢、手水鉢、石臼
前には~
※水槽、くど、網の錘
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我会が各地で探している唐臼
踏み木も完品ですね。
石臼も~
※綺麗な造形の
唐臼
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エエなぁ~と言いながら
写真取るのは私だけ??
※色んな形に加工され
使われていたんですね。
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流し
※井桁、唐臼
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火鉢?唐臼
※へぇ~
砂糖の搾り機
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何でも人海作戦
小海も大きな集落だったでしょうね。
※大坂城の巨石リスト
探してみますわ。
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